木造4階建、基礎腰煉瓦造、屋根銅板葺、外壁銅板貼、建築面積 延902u
1階・・・玄関、ホール、大広間、配膳室、物置
2階・・・鏡の間、客室、図書室、寝室、浴室
3階・・・ホール、客室、和室、ボールルーム
4階・・・展望室(御真影奉安所)
この建物で一見に価するものは、内装の豪華さである。玄関には大理石を敷き詰め、繰り型や彫刻、ステンドグラス(ティファニー製と言われている)で壁面を装飾し、木造階段は国会議事堂を模している。150uの大広間は、桃山風の格天井に極彩色の彫刻をはめこみ、
柱はマホガニーやチーク材が使われ、また、壁面クロスは西陣織り別注と推察されている。2階の客室は中国風朱色で彩られ、「鏡の間」と呼ばれている。
新築当時の洋館からは別府港、多木製肥所(当時)分工場を眼下に見下ろし、遠くには播磨灘の家島群島・淡路島を望み、四囲の眺望は絶佳であった。
玄関横の不動明王は、鎌倉末期の作と言われているが、定かではない。
1階大広間には
「夾竹桃ある家」姫路出身の画家 飯田勇 作
(大正13年第5回帝展入選作)
「硫安工場の秋」 梶悦次 作
(日展出品作品)
2階ロビーには
等身大の木彫「護り」 大野明山 昭和12年の作
(須佐之男命が稲田姫を護っている。昭和13年日展入選作品)
平成7年来館された東京大学教授 藤森照信先生の検証によると、「・・歴史的なスタイル別にチューダーとかスパニッシュに分けてもいいし、材料別に赤煉瓦造りとか木造土壁造り、或いは時期ごとに明治風とか昭和初期とか、あるいは種類別に住宅とか倉庫とか。しかし、この建物は
これまでのどんな類にも入らない孤立した姿をしている。 あかがね御殿と呼ばれる邸宅は、全国各地にあるが、いずれも屋根を銅板で葺いただけで、このように全身をスッポリと銅板で包む例があろうとは、考えもしなかった。これこそ、正真正銘の全身あかがね御殿。
今後、屋根だけのものは、半身あかがね御殿とでも呼ぶようにしよう・・・」と建物の特異性について述べておられる。
内装についても「和洋折衷が積極的に用いられ、1階の大広間の天井は見事で、日光東照宮的に飾られている。細部の精度やバランスや全体の統一感にはあまりこだわらず、大胆不敵に大掛かりに見せる点が特徴で、玄関ホールの3階ぶち抜きの大空間も、この特徴をよくしめしている」と、肥料王と呼ばれた多木久米次郎の心意気を理解されている。